世界名作劇場の小公女セーラ

放送当時、小公女セーラを祖母が物凄い集中力で観ていました。それを、私がじゃれて邪魔をしていました。今まで何度か小公女セーラを観られる機会があったのですが、きつすぎて観ることが出来ませんでした。最近になってやっと観ることが出来ました。同様に、友人は今もペリーヌ物語が観られないと言います。いいスタッフを赤毛のアンに取られてしまったようですが、バロンという犬の描写が凄くいいです。

「赤毛のアンが傑作だ!」と言うと、「フランダースの犬が神だと思っている」と言った方もおりました。その方も子どもの頃の記憶がある方で、お子さんも多いので、お薦めしたのでした。赤毛のアンは、成人になってから観ると、「なんでこんなに子どもの気持ちがわかるんだ?」と思いました。原作を超える表現がある事に驚いて、スタッフを調べると高畑勲さんでした。子どもの頃の記憶がある方は観てみると、驚くと思います。子どもの、「こういう所をしらけてはいけないな」と思う場面があって、実際にそういう事に出くわしたときは、普通にのるようにしています。最初、余所余所しかった子から、思い切り蹴られたときは嬉しかったものです。その蹴られた事を嬉しかったというと、他の人から気持ち悪いと言われて、何を考えているのかな?と思いました。相手がそれだけ安心しているという事に嬉しかったのです。たけくらべの筆屋みたいなもんです。

子どもの時代は一番幸せを感じさせてあげやすい時ですし、それがあったら、大人になってなにかあっても、やっていける力になるのではないかなとも、思っています。昨日見かけたニュースで、子どもの自殺がとても多いと書いていました。誰かが作ったルールばかりやらされているのではないかと、心配になりました。自由にさせる、そのままにさせるのが怖いという親には、会った事はあります。誰かの為に、何かをするより、何もしない、邪魔をしないというのが一番しんどい事です。大人になってもそういう事ばっかりです。でも、不思議にその人が道を開いていくという事が確かにあるのです。

それらの作品では、祈りの場面がありました。誰かの事を祈るわけです。デール・カーネギーの本で、感謝は教育のたまもので、勝手に感謝できる人間にはならないと説きます。誰かの事を祈る、思う、念じる、という事も、教えられてやっと、出来るようになる事なのかも知れません。出来るだけ誰かの心を温かくするという事も、そうだと思います。