スーパーマン

映画スーパーマンのシーンで、大事な人が亡くなってしまったとき、スーパーマンは地球を逆回転して、時間を戻して、何事もなかった所にまで戻しました。

良く笑い話でされてきたと思うのですが、私はこれは本当の話だなと思いました。中西進先生は万葉集の講義で、「嘘を言っているときは本当を、本当のことを言っているときは嘘を言っています。」と文学について何度も教えてくれました。スーパーマンは文学かどうかはおいといて。

さて、スーパーマンは大事な人の命を救ったのですが、救われた方はそんなことは知りません。ですので、救われた方はスーパーマンが来るのが遅いという事で、目の前に現れたときに「遅い!」と怒られてしまいます。スーパーマンは怒られて、笑っているだけです。この手の話は、ほかの作品でも良くあるもので、ドラえもんにもそういうエピソードがいくつかあったような気がします。

つまり、スーパーマンのやったような事が、本当にいい事だと思っています。助けられた方は、全然気が付きません。むしろ、スーパーマンが怒られています。でもスーパーマンは笑っています。

良い先輩や、良い先生は、耳触りのいい事を言ってくれるとは限りません。昔に、いい人によって、こちらの為に習慣を正してもらえた経験が誰しもあると思います。その時に、良い習慣を身に付けさせてくれた存在に嫌な気持ちになる事も普通にあります。それで、10年後、20年後、あるいは50年後の健康に寄与している事もあります。姿勢だとか、歯磨きだとか、食生活だとか、考え方であるとか、言葉遣いであるとか、こうしておいたら得するのはあなたの方だからと、教えてくれた方がいたと思います。そして、教えられたときには嫌々だったとも、喜んだとも関係無くて、それが身についた人は、それによって只今現在体調がいいとか恩恵を受けているとは思いません。その人にとっては当たり前で、感謝を想起する事ではないです。しかし、病気をして、治療してもらって、今の苦痛を軽くしてくれて良くなったら感謝をするというのは普通ならします。

スーパーマンはいい人です。地球を何周も回ったのに、誰にも感謝はされません。そういう、誰にも認知されないのだけれども、とてもいい事をしている人は身近には普通にいます。

とある先生は

「今の若い子は、すぐに答えにたどり着きたいと思う人がいるよね。すぐに答えは何ですか?って聞いてくるんだけど。そんな事より、なんでそうなるのだとか、そういう事の方が大事だと思うんだけど。どうなのかねぇ。」

とか、笑顔で、良い声なのですが、残る表情をして伝えようとしておりました。直接的には言わないけれど、なるべくそうして欲しいという気持ちがにじみ出ていました。「ちゃんとやったら面白いんだよ」という事を言いたかったわけですね。先生も身近なスーパーマンです。あのような本気は、意外と届くのです。実際に心を動かされている人を何人も見ています。私も今でもその先生から心を動かされています。安直な事をして、理解したつもりにしておくと、先生の顔がちらついてきて、心の中で「すいません」みたいになるのです。時間的に追い付かない事もあるのでご容赦なのですが。

良く年配の患者から怒られることがあったという、歯科衛生士さんもそうです。良くなってもらいたいという気持ちが強すぎて、ついつい、良いケアの仕方を伝えてしまって、その気の無い患者さんに怒られていたそうです。歳を重ねて、相手に受け入れてもらえる確率が上がってきたと聞きましたが、方法論なんか内容です。どうにか受け入れてもらいたいと思って生きてきて、それがにじみ出てきて、密教的に伝わるのだと思います。その歯科衛生士さんのお節介によって、救われた人がいるかも知れません。

地球を逆回転して時間を戻すのは、嘘ですけど、スーパーマンは感謝されないというのは本当です。でもそれでいいのです。スーパーマンの表情は喜んでいました。悪くならなかったことが嬉しいのです。

ジョーセフキャンベルは、スターウォーズのハンソロのこのエピソードを話したことがありました。彼は自分の事を自分の私欲以外では動かない利己的な人間だと自分でも信じていたけれど、ふとしたきっかけから冒険が始まり、そして仲間の危機の際に、自分の命を投げ出して助けに出た自分に戸惑うシーンがあると言いました。そして、ハンソロはその事を喜んでいるのです。キャンベル博士は、そういうソロのように愛されるべき人物は、世の中には沢山いるとおっしゃっています。

先の先生も、歯科衛生士さんも、別にそんな事しなくても、自分の商売には支障が無いです。先生は研究が仕事で、歯科衛生士は治療が仕事です。それをやって損とか得とか、そういう事が無意味な神話的な世界があります。その方たちのすることは、その方たちに生命を吹き込まれているのが感じます。しらけないのです。触れると心があったまってくるのです。妙な事を言ったり、妙な事をしたら、心が冷えていく。それだけです。仕事は社会と繋がる手段で、それを通して本当に必要な事を、やっているのです。

スーパーマンとか、わからない所で褒められないいい事をしてくれている人たちは、損だとか得だとか、そのような基準は無意味なわけです。もっとメタなものなのだと思います。中西先生は大伴旅人の「鴈木の間に出入す」という言葉を色紙を求められたときに、良く書かれていたそうです。「役に立つとか立たないとか、そのような事は重要な事ではない」という意味だそうです。私はその言葉には、ものすごく救われたことがあります。自分の仕事はちっとも社会に役立っていないと感じていたからです。しかし、目の前の任せてもらえたことはやっていこうと、そして、先に何かあるかもしれないと、何とか保っておりました。役に立つとか立たないかより、大事な事があるようです。

今の仕事や、やっている事に意味を感じない時があってもいいと私は思っています。そういう事を言うと、周りの人に怒られたり、無理やり意味を感じるように諭されたり、しがちだと思います。そういう周りの反応は模範的な態度かもしれませんが、そうやっていい子ぶらなくていいと思います。抑圧しないで、自分の仕事について疑問が湧いてくるなら、全身で感じていていいと思います。すると、これかな?という事がぽつぽつとあぶくの様に出てきます。ヴィダルサスーンは嫌々美容の仕事に縁を持ちました。戦地の砂漠で、対象ではなくて、方法をとる事を悟ったそうです。建築家になりたかった彼は、自分にはこの仕事しかない、だったら自分のやりたい方法でやろうと思ったのです。晩年、この仕事は私の天職だったと言っています。

格闘家の朝倉未来選手の話をユーチューブで聴いたとき、嬉しくなりました。そうなった理由は理屈では無いのです、無意識です。自身の受け皿が見つかった事に感謝していて、またそれを大事にしようとされていました。友人や人のつながりによって、こうしていられるという事に感謝をされていました。また、自身の体験から、相手の気持ちを察する方のように感じます。例えば、交わった相手が、こかされたり殴られたりするのですが、明るくなっている、良くなっている気がしました。くすぶる、充実感が無い、どうしていいかわからない、そういう時が昔本人にもあって、そういう相手の気持ちがわかる方なのかもしれません。