先生

私の好きな先生が亡くなられたと連絡が入りました。コロナでは無く、急性のご病気だったそうです。先生を知る方達の反応からも、多くの方から愛されていたと感じます。教壇に立って、南米に行って、普通に次の週に講義をする、加速器での実験場からわざわざ通って講義をするような先生でした。

先生はさらさらと、普通に温かさを発信する方でした。随分前の話ですが、先生が話したことを、その先生の教え子夫婦に、「こんな事を話していましたよ」とお伝えすると、「山田先生らしい」と言って、涙ぐんでおりました。教え子が聴いたら嬉しくなる言葉だったのです。私も嬉しい言葉をかけてくれていて、その都度、家に帰っては、心許せる人に、「こんな事言ってくれたんだよ、私は嬉しいよ」と報告していました。

その教え子の方は、皆様がお店などで何気なく見ているものを開発した方で、今とても好調な企業に勤められているのですが、「キャンパスはトラウマで、見ることが出来ない」とおっしゃいました。その方の友達は、どこにでも教科書を持って行って、いつでも読んでいたそうですし、その方も休みの日はキャンパスの見える場所で勉強していたと言います。後日先生と話があったので、10年前のその卒業生と飯田橋で話をしたことを告げると。「なんで寄らないの!」とおっしゃるのです。そういう反応がとてもうれしく思いました。次に「トラウマらしいですよ!」と冗談のように言うと先生は「なんで・・・」と寂しそうにしたのです。それを見て、私はもっと好きになりました。みんな気を使うけれど、会いに行くと本当に喜んでくれるような方だったのです。

先生の振舞いについて、大事な事だと、わかっていてそうしているのだと感じていました。私は先生と話すときは心が満足してしまっていて、そういう事を確認する気持ちにはなりませんでした。そんな野暮な事は全然触れないで、大体化学の質問、確認の相手をしていただきました。その短い時間が一番楽しかったです。先生はおごり高ぶるとかそういうのは全くないのですが、誇りをもっていました。それがついていく方達へのいい影響を与えています。昔、真面目にやった先輩が、昨今先生が話していることを知ったら涙ぐんだのです。

先生を触りたいという気持ちがあり、それを身近な人に打ち明けると「わかる」と言ってくれました。

私はサイエンスの世界でどこまで通用できるのかもわかりません。また、自分も出来る事があるかも知れないとも感じられてきています。先生は理学という言葉を使って話したことが一度だけありました。私は先生の話すことを聞き漏らすことが無いですし、理学という単語は絶対に聞き漏らす事はありません。そのとき、理学について自然に、普通に話してくれました。そこにある先生の本音に共感しましたし、子どもの頃から望んでいた事でした。

具体的な会話の内容は書きたくなかったのと、
過去形で書くのも抵抗がある部分があり、
変な文章になっていると思います。