落下運動は、古代では悪魔が地球の中心から引っ張っているという解釈もあったそうです。アリストテレスから、ニュートンの万有引力の法則、そしてアインシュタインの一般相対性理論というふうに、落下運動がより一般化されてきました。
また、ドイツでの古いキリスト教での原罪original sinの解釈は、元々は普遍性を失うという意味だったと、ミヒャエル・エンデは紹介しておりました。また、落下と精神的堕落を結び付けていたとか。
パチンコで、玉が重力にひかれて、釘に当たりながら落ちてくる。それを撮影して、逆に再生するとまるで生きているような動き方をする。生きるというのは重力に逆らっている振舞のようです。宇宙に出ていくというのは普遍性を取り戻す行為なのかもしれません。
数学、物理をする人は、特殊特別というのは、あまり好まないと思います。好まれるのは、一般性、普遍性です。特殊、特別というのは、特殊な時、特別な時しか成立しない、しょうもない話だからです。一般性、普遍性とは、どんな時でも完璧に成り立つということです。とても美しい。俺だけの考え、自分だけの理論、なんていうものは、言葉の定義からして、何の意味もないという事です。意識は同じで、体は個性。友の憂いに吾は泣き 吾が喜びに友は舞う、これが友達なわけで、意識は同じでないと意味がない。しかし、体は個性があったっていいわけです。髪の毛が明るくても、染めて黒くするなんて必要ないわけです。みんな特別で特殊で違うのですから。
色々な喜びそうなものを混ぜて、特殊で特別なものを作るのは簡単ですし、誰でもすぐできます。勉強も経験も必要ありません。それはオリジナルであり、精神的堕落であり、罰といいますか、あんまりいいことが起こりません。それをしていくと必要以上に傷んだり、負担になったりします。そうではなくて、勉強と経験の蓄積を行えば、普遍性を取り戻すという行為になります。どこでも誰でもいつでも、通用するものです。普遍性を得るには、色々なことが必要です。アインシュタイン、ヴィダルサスーンを見ても、知識、経験、才能、運、その人の信教などいろいろです。特殊特別なものを作る、する、のは簡単です。何もいりません。
どこでも通用する、いつの時代でも通用する。そういうものはすごいですね。
偉い人の作った会社の名前を見てみると。スタンダードオイル、ゼネラルエレクトロニック、です。ベーシック、スタンダード、という言葉を嫌っている人にも会ったことがあります。私はベーシック、スタンダードは、劣った意味で使ったことはありません。基本的なことと、容易さとは全く違います。むしろ基本が難解なのは普通です。とある方が「基本的なことがわからない!」と叫びました。「基本は容易さを示しているのではなくて重要さを示しているのですよ!」というと、明るくなってくれました。むしろ、発展や、応用の方が、簡単なのが普通です。
イプシロンデルタ論法というのがあって、とある数学科の教授は学生時代になかなか理解できずに、七転八倒しもがき苦しんだそうです。基本は難しいです。
今の時代は、うらやましいです。親切な動画が増えてきました。
ベーシック、スタンダード、普遍性、一般性、それを探しているわけです。できるならば、変なことはしたくないですし、変なことを提案したり、教えたりしたくないものです。
特殊相対性理論はサラリーマンが考えた理論といわれており、一般相対性理論はサラリーマンには作れない理論だといわれている。一般相対性理論は、特殊相対性理論とは比べ物にならないほど難解である。