妹が通っていた学校で、私も尊敬している工学博士の教授を引っ張ってきた理事長が中西先生でした。その事を後から知って、あの素晴らしい先生を引っ張ってこられる人間力をもった人物はどう言う方なのか、知りたくなったのがきっかけで、何年か前に、新富町で行われていた万葉集の勉強会に参加してみました。
(小田晋先生、松岡正剛先生、など多数の先生を引っ張ってきたのも中西先生だったと、当時の講師が教えてくれました。)
私は今の仕事を任せて頂いて会社を設立したのですが、当時はくたくたになっておりました。不思議で、余裕があるときは、優しい言葉が沢山頂けますが、しんどいときほどそれには恵まれないものです。そのとき、新幹線で万葉集の番組があり、それを聴くと心身が楽になりました。ですから、出張の時はその番組が楽しみでした。
新富町での中西先生の勉強会は、40年ぐらい前だと思うのですが、奈良交通が企画したものが元だったそうです。社会人でも中西先生の講座を受けられるようにと続けられてきたものでした。奈良交通から池田さんという、当時のお嬢様がずっと会を運営されていたようです。初めての時、池田さんが中西先生の所に連れて行って下さいました。すると、中西先生は「万葉集は好きですか」と仰ったので、私は「さっぱり分かりませんが、新幹線で万葉集の番組があり、それが面白くていつも楽しみにしていました」と応答すると、先生は「あれは私が作ったのですよ」と仰って、驚きました。
他にも色々中西先生の関連で、繋がりがありました。お客様の親が、中西先生のラジオをいつも聴いていたとか。近所の方も中西先生を知っている方が多くて、中西先生の記事を見つける度に、会社までもってきてくれました。
自分は何も出来ていませんが、多田富雄、養老孟司、河合隼雄、中西進、等の実感をもった部分を繰り返して講習などで引用させて頂きました。私の言う事より、彼らの言う事の方が面白いですからと、本物の書籍などを紹介してきました。化粧品の会社があの方達の名前を使っては、名前を汚してしまわないだろうかと怖くなるときはあります。実際に夢の中で尊敬している先生から「私の名前を使わないで下さい」と電話がかかってきた事があります。
私が言うから受け入れてもらえないのでは無いか、むしろ名前に傷をつけてしまうのでは無いだろうかと、心配はしています。その怖さが、私を守ってくれていると思います。ちゃんと生きている方達と、なんとか生きていきたいという気持ちがあります。そして、塀の上に登れてきたかも知れません。当初、現状でも、認めて下さっている方々には感謝しておりますし、その方達の事は特別な感情があります。仕事は社会と繋がる手段で、社会と繋がっていく事の難しさと素晴らしさを感じ取っております。
そして、中西先生は、役に立つとか立たないとか超えているという話も教えてくれました。会社のしていることは役に立っているのだろうかと、ずっと考えあぐねいていることもあります。社会と繋がる手段であって、本当に役立てられる事は手段にして関わりを持って、その関わりの中に本当があるのだと感じる事がありました。旅人の役に立つとか立たないとかでは無くて、悠々自適に暮らしているという話があり、それが妙に心に落ち着きを得たのです。そして、本当に役立つ事は、近所が楽になる人間になる事なのだとか、隣人にとって心が温まる存在になっていくことなのだと、感じるようになったのです。
一緒に暮らす人や、知っている人が、悲しむような食事、生活をしないで、出来るだけ安心してくれる食事、習慣をもって、後味のひかかる憂さ晴らしよりは、後からも心が温かいものが残る、心が喜ぶ事をしていく事が大事では無いかと感じます。
ふくろうの会
中野万葉会「大伴旅人の生涯」
http://21fukurou.com/n_sch/n_sch.html
http://miyakomanabi.jp/movie/index.php?act=detail&id=1103