青学の福岡伸一さんが、「日本人の多くはタンパク欠乏症なのです」と、どっかで話していたのを思い出したことがありました。十年ぐらい前の話だと思います。
お客様がしていた、負担のかけている習慣が自覚されてきたら、肌とか髪とかが、良くなっていくので、そうすると、仲良くなったりして、もっと良くしたいことがあると、お話ししてくれることがあります。
「とりあえず、摂取しているタンパク質量を増やしてみて、それで調子が良くなったら、タンパク質を増やして、別に変わらなかったら、元に戻してみたら?」
と、とりあえず、やってくれた人で、肌とか髪とか、良くなって、生理も楽になった、と言う方がいます。
治療の前に、習慣でやっているケアとか、食事とか、そういうのを見直してから、それでもダメだったらでも良いかも知れません。
知り合いが子どもの頃に急にアレルギーが出て、医者に「一週間食品添加物禁止」と即答されて、それに従ったら、症状が治まったそうです。
「ご年配のお医者様でしょ」と訊くと、そうだとおっしゃっていました。
私も健康診断で、血圧を指摘されたとき「もう年ですからね」と言うと、医者が目の色を変えて「そんな年ではない、そして、この数値だったらすぐ良くなるから」と言われ、アドバイスをされました。その先生の言うとおりに、食事を変えたら、すぐに血圧は普通になって、それを維持しています。
ダン・アリエリーという心理学者が、全米の医師に、回復の見込みのある患者に対して、習慣を改善させる試みをした場合、患者が協力的かどうかのアンケート調査をしたような話があったと思います。すると、殆どの医師は、患者は反抗的になると答えて、良くなりたいなんて言う患者はいないという悲鳴を上げた方もいらっしゃるとか。優れた医者は、患者の家族も巻き込んで、習慣の改善をしていき、普通の医師は、対処療法にならざる得ない、というような、結果が出た。
東大医学部で教えていた、養老孟司さんは「成人病で、高脂血症、高血圧、糖尿病、云々ありますけど、あれは食べ過ぎの運動不足を言い換えただけのものなんです」と言っていて、食事を適正化して、運動させれば、大半は治ってしまうそうなんですね。それが嫌で、何も変えないで、薬だけを飲むで、健康になるかというと、ちょっとイメージしにくいです。
「正しい事を言ってもまず、効果がありません」と河合隼雄が言っていて、「正しい事を言っても良いですけど、効果無いですよ」と言います。そして「助言忠告で良くなるぐらいだったら、そんな状態にはなりませんよ。その人にも色々理由があって、飲んでいられるんです、それが止められないんです」と言っています。そこで彼は「希望を失わないで、関係を続ける」という事が大事だと言います。絶対にこっちは諦めない、見捨てない。そういう態度で、接し続けるのだと言います。そして、出来るだけ何もしないのが良いのです。だけれども、やっぱり何かをしてしまう場合が多いですよね。河合さんは「何かするのと、何もしないのでは、どっちの方がエネルギーいりますか?」と言います。そうです、何もしない方がずっとエネルギーがいります。何か言う方がずっと楽です。
基本には深掘りがあって、基本の基本に向かうほど、難しいかも知れません。そして、その基本に向かうほど、重要なものであって、最も得たいものだとも思います。そして、金銭では決して解決出来ません。自分の責任を取り戻す事とか、食事、掃除、洗濯、ケア、とか、親切にするとか、基本過ぎて、あんまり聞いてくれるようなことでは無いと思います。人は、生まれてから、栄養と、無条件の愛を受けて、体と心が成長していきます。栄養が不足しても、愛情が不足しても、どうも上手く行きません。表面上、紳士的に振る舞っても、やっぱり変なのが湧き出してきます。「お互いに心を温め合っていくんだ」と言っても、そんな気持ち悪いことを言わないで、良い口上を作れ、訓練しろ、と言われるかも知れない。
都内であるメーカーの自動車販売台数がダントツ一番の営業マンの話を聞きました。社内で回ってきた彼の文には、こう書かれていたそうです。母から、「全く車が売れなくても大丈夫、お母さんはお前の面倒を一生見るから」と言われた事があって、それが販売の好成績に繋がっていると思うと。無条件の愛で、ヒトは勝手に成長に向かってしまう。愛情が満たされている人は、シャキッとして、大人びていて、かっこいい。甘えさせられなかった人、満たされてないと、どうしてもニヒルだったり、退行をしてしまう。しかも、自分ではコントロールが出来ない。
基本ほど、見えないし、難しい。エーリッヒフロムは、愛は学習するものであり、修練して身についていくものだと言っている。自分が愛せる対象が来たら、いくらでも愛してやるという態度の人がいるが、そんなのは愛でも何でも無いという。好き嫌いの分別とは関係なく、愛を表現していくことで、本当の愛が身につくと言っている。