愛情は強力なブレーキ力になります。
恐怖や不安といったものも、理屈では止められなくて、愛情が満たされていくとそれが止まります。
子どもの頃、上手く甘えられなかった場合、退行を起こすことが知られていて、徹底的に甘えられた場合、勝手に成長していくようです。
徹底的に甘えられる、絶対的な安全地帯を得ると、シャキッとして、人は勝手に全部が良くなっていきます。
本当は一番満たされたいものが愛情であっても、それを抑圧すると、そのイミテーションを求めてしまいます。
愛情は本物なので、金銭ではどうにもならない事の一つです。
何でも、不足しているもの程、それを遠ざけるような行動を取ってしまいます。
甘えさせられないのも、甘えられないのも、恐怖感がそうさせると思います。このままダメになってしまうのでは無いかとか、条件により態度が変わってしまうのでは無いかとか。
成熟した大人はしっかりと甘えさせられるのだと思います。
それは理屈では無くて体験、経験なのですね。
何もしないって、とても難しいです。
「樋口一葉を読み継ぐ」(視点・論点) より
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/242551.html
‘’「たけくらべ」に登場する人物はどんな脇役も面白いのですが、最後に筆屋のおばさんをご紹介しましょう。後家さんでしょうか、独り身に見えます。筆屋は子供たちのたまり場。雨が降ったりすると、おばさんは早くから戸をたて店先で子供たちを遊ばせてやります。子供たちは店の客でもあるのです。
子供たちから見たら、おばさんは何でしょう。親でもない先生でもない友達でもない。年寄りなどと言って軽く見ている。けれどそのくらい心を許しているということです。こういう人が子供と社会の間にいた。家族ではない、共同体のなかの顔見知り。「たけくらべ」に登場する大人は、皆、厳しい現実を知る玄人たちです。いずれはわかることと言葉では何も言いません。ただ見守る。筆屋のおばさんも、現実を知った上で子供たちをいっとき甘やかしているのですね。そこには冷たくて温かい眼差しが働いています。‘’