混ぜるのは簡単、分けるのは大変

分析をしている人は、みんな実感しています。

混ぜ物は簡単です。オリジナルも簡単です。

普遍的な事こそ、難しいです。だから、そういうのを嫌がる人も出てきます。


とある若い研究者が「ひたすら意味の無い話をしたい!!!!」と叫んでいました。それを聞いてみんな大笑いしました。普遍性を追い詰めすぎて、へとへとになっていました。

例えば、化学合成は、順番、量、時間、温度、撹拌、雰囲気、どれかが悪いと、うまく行かないなんてことが普通です。変な事をすると、もうだめです。精製も、熟練していても、それなりに時間がかかります。熟練していなかったら、膨大な時間をかけてうまく行かないなんてことも普通です。また、失敗をしなかった人なんていません。上手な人ほど、優しくて謙虚です。しかも、みんなに認められています。

パーマ、カラー、ヘアケア、スキンケアも、出来るだけ変な事をしないと、うまく行きます。うまく行っていない事を聞くと、思い込みで変な事をしていた事しかありませんでした。また、継続的に良くなった人は、余計な事をしていたことを、減らせた場合のみでした。

色々好き勝手に、でたらめにやって、その場だけ気持ち良くなっている人を見た事があると思います。あれが、昔のドイツでの解釈である、原罪だと、ミヒャエル・エンデが紹介していました。近代に言われた性的な解釈ではなくて、普遍性を失うという、精神的堕落を表していたと言います。

皆さまがたまに見かける、自分が悪くなってしまう習慣を持つ方達は、そうならなければいけなかった、何かがあるのだと思います。河合隼雄さんは、じっくりと相手の世界を受け入れて訊いていくと、それが収まっていく事もあったと言っておられました。「正しい事を言ってもまず、効果はありません」と紹介しています。理科大のコミュニケーションスキルの先生に、河合さんの気に入ったエピソードがあるんですと話すと、「河合さんは別格やったからなー」と仰いました。普通の会社で働く方や、公務員の同級生とかとも話してきたことは「金銭、評価の対象にならない大事な事があるので、本当にやりたいそれらの事を、仕事を通して実現していこう」という事でした。河合さんはタバコを吸う生徒に、「吸ってはいけません」と言っても、まず効果が無いと言います。例えば、「へえ、そうなんやー」とかそういう場面で言うらしいんですけど、これはテクニックでは無くて、関心をもって、心を使うと、面白い変化が起こってくることがあるそうです。こうしたらうまく行くという方法は無いんですね。うちの場合は、売り上げをあきらめて、本当に相手が良くなると思っている事を言って、それでがっかりしてどこかに行ってしまう場合があると思うのですが、歯車がかみ合ったような感じがして、どこからともなく、最初からこのようなものが欲しかったという人が見つけてくれます。関心をもって、心を使って、訊かれたことにこたえて、相手が期待して問い合わせたものとは違ったとがっかりされても、ひょっとしたら、何か習慣に関わる何かに影響を与えているかも知れません。また、習慣化されているので、最初からそのようなものを求めている人が見つけやすくなっているかも知れません。

身の回りで基本、機嫌のいい方がいると思います。どうしてそうなのかを聴いてみると、大抵は、それを心がけていたとおっしゃると思います。習慣になってしまうと、心がけなくてもそうなります。また、どうしてそのように心がけたのかを訊くと、なかなか面白い回答をしてくれると思います。分別を持つというのは、それなりのエネルギーはいりますが、実はその方が楽です。分別を持たないのは、本人はその場その場で得しているように思えるかもしれませんが、損してしまいます。それはそうですよね。メンドクサイ人に、わざわざいい話は持っていきませんからね。何を言ってもめんどくさくなりますからね。みんな「そりゃそうだ!」と言います。

このテーマを語るのは難しいです。無分別智なんてものもあります。また、分離感はネガティブ、一体感はポジティブという感情を想起するように本能には組み込まれています。しかし、色々わかってきたら、自分の機嫌は自分でとったり、自分を傷つける人からは、上手に対応したり、応援してくれている人に具体的に何が出来るだろうと考えたり、そういうのがいいのではないかと思います。

私の若かった時の失敗を、若い方達に聴いていただくことで、私は癒されていくのを感じました。皆様には心から感謝をしております。あの自業自得での、無意味な日々がささやかな意味あるもののようにして下さって救ってくれているのです。「こゝろ」を思い出します。