成長

成長するには、栄養と愛情がどうしても必要な気がします。

充実した感じや、イキイキした感じ、スッキリした感じ、そういうのは、出来るだけ本当の要素を大事にしていくのがいいと思います。

有機化学の研究室で福岡伸一先生の話になったときがありました。その先生のテーマの中には「動的」というワードもございました。動的というのは厄介で、アリストテレス以降の細分化して切っていくサイエンスのやり方では、評価の対象にはなりにくいという嫌いがあります。養老孟司先生は、人間が何故解剖をするようになったのかに対して、脳は言葉にして世界を切っていくから、そのうち体の中もそうすると言っていて、ああ本当だなと思いました。今の科学論文をかき集めても、ミジンコ一匹作れないと言っていて、次の世代の科学は、繋げていく事をやっていかなければいけないというような事を若い頃に聴いた記憶があります。情報は止まっていないと扱えない。言語化するという事は、止めるという事です。ですので、動的を言葉で扱うのはとても骨が折れそうです。結局は研究室でも、ある程度感覚的にわかった同士が意思疎通して、共有されていきます。現実は言葉だけでは扱えてないのです。しかし、評価されるのは言語化された論文だけです。

それで、何がいいたいかというと、実際に効果がある事、良くなる事、変わってしまう事は、評価の対象にならない事ばかりです。基本過ぎて馬鹿かといわれるような事です。心が温まってこないと、自分を大事に出来ませんし、他人にもいい影響を与えられません。心を温める文化のようなものが根付いていけばと思います。自分だけでも、とか企業文化だけでもとか、そうやってやれる範囲でやっていけばいいと思うんですね。

昔、肌とか髪とかの仕事をして、さっさと結果を出してしまう人と、やっちゃダメだという事ばっかりして、結果を出せない人がいて、元々真面目ですから物凄く悩んだんですね。河合隼雄さんの公演を聴いていて、良くなるには、それ以前の基本が必要な要素だと思いました。例えば、この人は本当に理解する能力が無いからなのか、無意識的に理解しなければ得られるメリットがあるから理解できないのか、どちらなのか全く判別つかないで、悩んだことがありました。色々ありました。真面目に答えたら怒られるなんてことも良くありました。しかし、不思議に怒られるのに、去ってはいかないのです。でも、どんなに怒っても、私からは言って欲しい言葉は出てきません。すると、やっぱり、理解しなければ得られるメリットの為にわからないようにしていたと、スッキリした顔で言われました。こういう事は、二度や三度では無いのです。そして、あっさりと肌と髪が綺麗になってしまいました。変な事を辞めたらそりゃ、普通になりますよね。普通だと綺麗ですから。何らかの異常があって綺麗では無くなっているんですからね。その、メリットというのが、退行のメリットなんです。分からないふりをすれば、どこまでも人のせいに出来るし、自分は頑張らなくていいし、でもその方が本当は人生キツイんですね。次々分かって、自分で責任取って、経験を重ねていくほうがずっと、楽なんです。例えば、引きこもりは、バリバリ働いている人より、めちゃくちゃキツイですよ。バリバリ働いている人は、あの人凄いとなりますけど、その人は楽ですよ。

福岡伸一先生を出して、一番言いたかったのは、「人生を楽しめと、生命は言っている」なんて、講演で言っているんです。昔は、うーんと、思いましたが、今は結構納得しているんですね。そうだろうなと思います。人生に目的はありませんが、意味はありますし、体験そのものです。だったら、生きているうちは、もっと楽しめという事です。これは物凄く大事な事だと思います。誰かのせいにしたり、退行したりする、そういう時期もあってもいいですが、ずっとそれだとつまらないですよ。良い循環に入るには、自分の背中を自分で押さないといけないと悟る事と、出来るだけ自分も周りも、暖かくするという事です。すると、あとは殆ど自ずと良くなります。

自己重要感を高めていかないと、どうしても誰かに迷惑をかけてしまう。しかも、重症な時は無意識でやってしまいます。これはとても恐ろしい事です。自分も周りもそれが高かったら、応援し合うし、なんだか不思議な安心感が湧いてきます。勝手に、周りを元気づけます。

物事の判断基準は、心が温まるか、温まらないかです。
法もそうやって決めればいいと思います。