美しくなった。

美に対する強すぎる執着を持っている方に出会う事もあります。

自分はいつか死ぬ存在であるし、一人で死んでいく力を備わらなければいけない。そのような力はなかなか得られませんが、得られなくて良いと思っています。しかし、備わればいいなと思っておいてもいいと思います。また、死を極端に嫌うのも変だと思います。友人は解剖をしていましたし、その友人の先生も解剖していたので、極端にそのような事から距離を取る風潮に疑問に思っているようです。こういう話をすると、すぐ「ネガティブだ」とか言って勘違いする人がおります。全然違います。

自分も周りの人も死なないと思っている人は、とてもわがままに振る舞います。しかし、自分はずっと生きているのではないなとか、親もずっといるわけでも無いと、意識出来るとお互いに、いい時間を得ることが出来ます。徹底的に見ないように、感じないようにすると、幸せで明るくて、快活かというとそうでもないのです。どちらかというと、出来なくてもある程度は覚悟している人の方が、優しいし、楽しい時間を大事にしてくれます。また、先の事まで考えておいてくれるのです。

外見が大事なのはとてもわかります。きちんと綺麗にしている、元気にしている、機嫌よくしている、そうすると大事にしてもらえます。また、わかっている方は、相手の為に綺麗にしている事を知っています。不潔そうにしている方は世の中にはいます。それも自由ですが、近くに来られる場合は、出来るだけ清潔にして近寄って欲しいものです。

しかし、外見に度を越えた執着を持つ方もいるわけです。その場合は、なんでそんなに外見に反応的なのかを訊く時があります。すると、精神的成熟が十分な方は、意識に引っ張り出せて、教えてくれる事があります。すると、その方から度を越えた美に対する執着が消えてしまいます。そういう方は、元々綺麗な方が多いと感じます。

年下の方で、ある程度きつく言っても大丈夫な方にはこういった事があります。「あんたね。私が外見ばっかり気にして、老化を嘆いていたらどうなんですか?自分の老いを受け入れていく精神的な強さを持っている人間の方がかっこいいと思わないんですか?」というと、納得してくれました。あと、若い時に見た、テレビ番組や雑誌や宣伝で植え付けられた洗脳があっさり解けて楽になったと言いました。その方は、十分綺麗で、髪の毛も肌も、周りからうらやましがられている方です。年相応では、ずっと綺麗な方です。ですが、美の話ばっかりされて、こちらはうんざりして怒ったのでした。

「すっごく綺麗な人ですよ」と紹介されて、会ってみると、びっくりするぐらい美人で綺麗な人なのです。その方も色々言うのですが、話を訊いたらやっぱり、その人の中でのこだわりを持った経験があって、「ひょっとしたらあれかも!」となると、余分な分の過剰のスキンケアを減らして、結果的に、もっと綺麗になりました。また、食事などもバランスを取り出して、もっと若々しく元気になりました。

美に対する執着をがうまく消えて、美に対するモチベーションが適正化すると、もっと綺麗になるという事を何度も見てきました。前は、ちょっとブツブツ出来ただけで、ギャーギャー言っていた人が、そんなもの出来ても、ケロッとしている人になると、もっと綺麗になってしまうのです。

美に対する脅迫観念のようなものがあったら、どういう方法でかわかりませんが、自分で美を壊すようなことをやってしまうのかも知れません。例えば、それやらない方が綺麗になるのにという事を、一生懸命やってしまったりします。

どこまでも美しくなりたい!という心はいいと思います。しかし、何かもっと大事なものをおろそかにしてまでそれを求めたら、醜くなってしまうわけです。これから若返る事や、若さをより保てる時代になっていくと思います。それを否定しているわけではなくて、無理しないでそれが出来るならそうしたらいいと思っています。

お客様に会うたびに、綺麗な人ばかりだと感じています。私の周りは美人の巣だなと思っています。美しくなりたいモチベーションが健全で、実際に綺麗ですし、周りに綺麗だと言われていて、それを聞いてこちらもうれしくなります。