人工香料

人工香料で、頭が痛くなる、咳が出るなどと言う声は以前からありました。私も頭が痛くなります。

なかなかやめて欲しいとは、言いにくいものです。
家族や周りに理解がもらえない場合があります。

子どもの頃は、チック症で演技だと言われていましたし、責められました。症状の出た方はそうされやすいです。ですから、身の回りでも、歴史でも、被害者側、症状が出た側に、何があったかを確認し合っています。前にこんな事がありました。お話を聞いていて、分かると思ったので、この子どものときの体験を話しました。すると、ものすごい勢いで「それは辛いですよ」と、仰ったのです。こちらは、作業のように話してたつもりでしたが、相手が本気で理解を示してくれたのです。すると、頭に血が通い始めた感じがしました。若かったときの経験では、みんな辛い目に合っているとか、もっと辛い人がいるとか、むしろ説教されるので、こういう事を言うことが評価が下がる典型として理解するようになっていたので、その手のことでの理解の期待は、恥の意識と結びついておりました。本気で理解してくれると言うのは、これほどありがたい事かと思いました。そういう事がいくつかあるのですけど、意識しなくてもそのたびに、より日常がスッキリ感を取り戻していくのを実感しています。

子どもの頃、素直に疑問を持ったことを訊いてみる。自分の考えがあって、とりあえずは意見を述べておく。それをすると、反射的に「素直では無い」と、言われてしまったという方にも、何人か出会っています。そして、素直だと評価されていた子に限って、いじめをしていたと言います。それは、素直というよりは、その大人にとっては都合が良かっただけです。それだけではなく、不思議に、素直な疑問を持つ、自分の考えをぶつけてくる子どもを、無性に可愛がり受け入れる大人も、ちゃんとおりました。そういう大人に運良く巡り会った、今立派な方も知り合いに何人かおります。色々あっても、誰かからの親切を受けて、立ち直った方ばかりです。

もし何かで苦しんでいる方がいたら、それは本当かも知れない。それは、その方と触れあってみたら、きっと分かると思います。その方が、子どもだったらもっとそうです。分かっていても、どう表現して良いか分からずに一人で抱えていることがあります。

数年前に、7時のニュースで、水俣病の被害者の一人がこう仰っていました。「企業に裏切られ、政府に裏切られ、辛かった。でも一番辛かったのは近所の人に差別されたことだ。でも全部許す、許さなければ辛すぎて生きていけない。私たちはみんなの代わりに病んだ。」

どう言う目に合ったかを調べていくと、一人びとりの人生を感じる事が出来ます。そして、それを差別したのは身近な人達です。それは私たちのことです。養老孟司さんは、オウムの事件の事を、ずっと昔にこう仰っていました。「あれは誰でも、あの場にいたらああなるという事件です。自分がああなるという事件だったけれども、そう思っている方は少ないのでは無いでしょうか」学生をやめてから、それは本当だと思いました。同じ構造での理不尽が何度も見ることがありました。とりあえず、何も出来なくても理解し合えば良いのに、現状変わらなくても今よりずっと楽になるのに、現状も今より良くしていけるのにと思います。

やられた側の方達は「自分はされて辛かったから、出来ない。やりたくない。」と仰います。その場の空気は、力強く幸せっぽい雰囲気になります。その方達は、きっと周りの困っている方に気がつくし、何らかの方法で力になろうとしています。仕事は社会と繋がる手段であり、そのような事が目的そのものなのですから。

犬養道子
憎しみの連鎖を断ち切る 1本のマッチに私ははなりたい
彼女は「この人達を私は許したい」と言った。