今年も残り少なくなりました。もうこれだけしか無い、まだこれだけあるという、落語を思い出します。人生の残りを考えてみると、思っているよりずっと少ないものです。周りも自分も、日々知る事があるものですから、もっと早く知っていたかった、そうやって生きておくんだったとか、思うものですが、何でも早すぎることも、遅すぎることも無く、一番良いタイミングのようです。知った、分かった、と喜ぶようにしていますし、それらは喜ぶ事であると、そのときのお互いで確認し合ったりしてきました。
自立とは、孤立では無く、相互に依存し合って、依存しているという事実を自覚していることを自立というらしい。そして、最後は一人で死んでいく強さを身につける事が必要だといいます。いつまでも生きていると思うと、気ままが増えてきますが、自分は死んでいく存在であるし、一人で死んでいく強さを身につけていかなければならないのだと思うと、どこか優しい気持ちが沸いてくる気がします。相手を傷つけてしまったとき、そういう事を忘れているときだなと、感じます。
暴れる心をどう手懐ければいいのかと、思案したとき、周りの存在が色々、手取り足取り教えてくれていたと思います。色々な人が沢山話を聴いてくれて、ここまで来たような気がします。心を使ってくれていたのだと分かってきます。
そうしていくと、何か有意義なことをして生きていきたいとか、良くしてくれた人に出来るならば喜んでもらえるような事をしていきたいと思うのですが、なかなかそういうわけにもいきません。今の生活の中で、限られた機会で、出来るだけそうしていきたいと思っているだけです。
今年も面白い年だったと思います。みんな言うのですが、終わりを意識すると、本当だけが残ってしまいます。自分の事を大切にしてくれた人が亡くなってから、何年経ってもふとしたときに、笑ってしまう経験を、誰もがしていると思います。不思議に暗い気持ちと言うよりは、明るくさせてくれるものです。「あんな事言っていたなー」とか、「あれは面白かったなー」とか。また、自分が昔、カンカンになって怒ったことも、何かのきっかけで思い出すと、クスクスしてしまう事があります。色々な事を味わって行くと、そのままの感情であり続けると言う事は無いようです。
自分の老いを受け入れていく強さとか、一人でいるときほど一緒にいる気持ちで、一緒に居るときほど一人でいる気持ちを持っておくとか、どう言う境遇だろうが、一人で死んでいく事を受け入れて行く強さを身につけていくとか、それらは、全て意識して、きちんと受け入れて行く事が大事なようです。老いを極端に受け入れられない方にもやっぱり会うことがありますし、話も伺うことがあります。何らかの原因があって、そういうこだわりを持ってしまっていただけで、伺っているうちに、そういうものが勝手に消えてしまいます。年相応の、綺麗さに満足して、楽しそうです。そして、残された時間と機会を考えると、優しくならざる得ません。面白いのが自ずとそうなるということです。