マクセル方程式から、電磁ポテンシャルを出して、ゲージ変換を見せられたとき、方程式が綺麗に見えた。その日は眠れなかった。スカラーポテンシャルと、ベクトルポテンシャルの存在する条件は数学構造がはまっていて、数学的な整合性が、ものすごい安心感を与えてくれる。
ベクトルポテンシャルが実際に存在するという証明の流れの話も面白いし、とにかく興味が分散して、色々知りたくなる。
子どもの頃色んな事を知りたかった。あの頃沸いていた疑問が蘇ってきた。
「電磁波の振動数は、無限に上げられるのか?」と言うと問いに対しても、古典物理では限界は無いが、現代物理学では限界があると言う事を教えてもらった。それなりに理由を気分のレベルで数分聞いただけでも面白くて、それを理解するところまで行きたいと思った。
また、子どものときに時間の加速度というものを考えて、時間の流れの速さが場で違うならば、その速さの加速度合いもあると思ったからだ。宇宙が広がり、宇宙全体の密度が減ると言う事は、時間の流れは宇宙全体的に加速するのではないかとか。時間の流れの加速度という子どもの頃の表現したものは、プロからすると、そういうものでは無く一般相対論の範疇だと教えてもらえて、面白かった。何十年も経ってやっと軽く組んでもらえて、転ばされたって感じて、嬉しかった。ランダウのエピソードで窘められた感もあったが、それでも嬉しかった。変に期待した説が失うのはとても楽しい事だ。そして、普遍的な事を知る力が欲しい。
昔、父が「電磁波クラブ」という芸能人の2人が笑いを取るというのを見かけたとき、大笑いしていた。水着みたいなコスチュームで、2人が色々動くと、はみ出すので、父は大きな声を出して笑ったのだ。その時良く覚えているのが、NとSの独立した2人で、自分はそれを見て愚かに思ったのだった!しかし、モノポールを知ったとき、尊敬に変わったのだった。まだ見つかっていないが、存在は否定されていない。(ディラック現代物理学講義)
子どもの頃って、いっぱい疑問があったのは覚えているのですが、いっぱい抑圧をしてしまっていると思った。
先生は、アホみたいな事を言う私をバカにしないで相手にしてくれる。保育所のときから、ずっと相手にしてくれていたら最高に面白かっただろうと思う。
小学校五年生のとき、担任の先生は、円の円周と面積を微分と積分で教えてくれた。すごく面白かった。耳学の相対性理論も教えてくれた。疑問に思った事をいくらでも聞けて幸せだった。後に、微分積分に出会ったとき、スムーズに入ったのは五年生のときの先生のお陰だったと思っている。
モチベーションを与えてくれた存在はなけなしだけれども、影響は大きい。スタートの一撃はあると思いますから。
相手を出来るだけ全身で受け入れて、持てるだけのものを、相手に返していかないとなと思った。特に子どもにはそうしたい。何がその人の救いになるか分からない。私はずっと覚えている事がある。その時に分かったり、受け入れられる必要は無くて、その態度が本物だったら残るから。
私は物理学者との出会いで、色々治った気がする。あるときから現れた、頭の霞が消えていったのを実感している。良く分からない症状は、何が原因かは分からないが、何かを思い切り押さえつけている場合が多いかも知れない。