曲を聴くと、小学校の時代を想い出しました。サムのひどい歌が、モーリーにとっては素晴らしい歌になってしまう。悲しみと共に、全ての人にとって素晴らしい歌になってしまう。特殊から普遍化してしまう。最初に本当があって、茶番があって、ものすごい本当になってしまう。
私はひょっとしたら毎日、亡くなった人の事を思い出していて、それに気がついたとき、にやっとしてしまう。一週間の中ではそれが必ずあって、気がついていないだけで毎日それをやっているのではないかと思っている。
それを、「ゴーストってのを観てきたのですよ」って、とある方に話したら、そういう話になった。すると、その方もそうでした。また、その方も同じ事を、大事にしてくれる方から話してもらったことがあると言っていました。
良くしてくれた人が亡くなってから、時間が経つと、にやっとさせる事が、ぽんと、沸いてきます。声を出して笑ってしまうときもあります。河合隼雄財団にある養老孟司さんの動画をみて、本当だなと思ったのが、みんな自分の中では死んでないって、わかります。一つの根拠に、夢を覚えているとき、どんな夢かというと、死んだはずの人達と、何の疑問も無く、普通に暮らしているんです。私も気がついていない。起きて気がつくんです。そして、夢は殆どが覚えていないわけで、おそらく毎日、普通に一緒にいるんだろうと、感じたのです。殆どそういう夢が、意識に残らないのは、やっぱり、押さえつけているんだと思うんですね。楽しいけど、悲しいというか、認めていませんね。ずっといますから。不思議なんですけど、満たされた気持ちにはなるのです。
たまたまなのか、自分が卑屈になっていたからなのか、わかりませんが。周りが冷たいなって、感じていたときがあって、調子が悪いときほど、そういう境遇になってしまうものかも知れません。自分の事を好きな人だって、そういう事をしてしまいますものね。そのにやっとする思い出と同時に、思い直したり、新しい出会いのときに、働くときがありまして、連中のお陰かなと思う事もあります。こっちを励まして死んだり、あっちからパワーを送るから、なんて死んだ人もいます。プライバシーは大丈夫なのか心配です。
この動画も、とても好きなエピソードです
河合隼雄とまともなひと 養老孟司
http://www.kawaihayao.jp/ja/work/work_project2/