視野

アクネ菌がポルフィリンを作って、それが酸化して、肌に悪さをしているという説があります。しかし、大きな視野で見てみると、それは悪い事では無い可能性もあります。実際に、時間がたってみたら、実は悪くなかったとか、良かったとか、ひっくり返った事も沢山あります。実際に、アクネ菌が悪者という考え方をしない先生も存在します。数千万年単位での菌とのうまく行っていた関係性を、裏切ったのはヒトの方で、それで望ましくない症状が出てきて、自分ではない誰かのせいにしているだけなのかも知れません。多くの人もそうだと思うのですが、それが良いとか悪いとかではなくて、へー、面白いなという事ですね。ポルフィリンは吸光度が高くなる波長の、Soret bandがあって、青色領域の400 nm辺りの極大吸収をします。もうピンときましたよね。そうです、なんか肌に悪そうな波長領域では無いですか。ポルフィリンのπ共役系も、肌や常在菌たちに有害な波長は吸収してくれそうです。ポルフィリン単体だけをみたら、光で酸化する、だから肌に悪いとも言えるかもしれませんが、肌の綺麗な人がいるわけで、それはひょっとしたら、色々な条件が整ったうえでポルフィリンが存在すると、むしろ肌には望ましい寄与を与えてくれているのかも知れません。多田富雄先生は、部分の病気、関係の病気、と区別しておっしゃっておりました。部分の病気とは、ああすればこうなるで治る事もあるというものです。技術的にどうしようもなければどうしようもないのですが。関係の病気とは、ああしてもこうならないというものの事です。その症状を抑えてみても、他の新しい問題が出てきて、それを抑えてみたら、また新しい問題が出てくるというようなものです。その症状は、ひょっとしたら、何かを伝えてくれているのかも知れません。

話が変わって、人間の脳は、数万年程度ではあんまり進化をしていないようです。ですので、遺伝子レベルで組み込まれた、充足される何か条件があるように思えます。河合隼雄さんがアメリカで研究していたときに、「これから日本は豊かになるのだから、人の心の研究なんて意味が無くなるのではないか」と言われたそうです。すると、河合さんは、「それは違う、豊かになるほど、心の問題は大きくなる」とわかっていたそうです。拒食症は、食べ物が不足している所では起こらないそうです。必ず食べ物がありふれていないと現れないと言います。大それたことではなくて、猿人とか原始時代からやっていたような事が充足を与えるような気がします。仲間で食事が出来るとか、安心して話せる間柄とかです。また、祭りのような事も必要なのだと思います。一生働かなくて良い身分なのだけれども、辛い目にあっている人の中でこういう人がいました。嫌な事を全部避けられるので、そうしていると、自制が無くなり物凄くつらい目にあったのです。私はこの仕事が嫌でしたが、仕方が無くやっていました。対象は変えられませんが、やりたい方法でやりました。そしたら、数年後には、そんなに嫌な気持ちにならなくなりました。お客様から色々な連絡が来ると嬉しくなりました。嫌だったお客様の事も嫌では無くなりましたし、多分相手の方もそうだと思います。河合さんは、「豊かさが悪いのでは無い、豊かさに負けない心を身に付けなければいけない」と仰っていました。なるほどと、思います。また、快感快楽は、化学的には他人より味わうというのは不可能そうです。A10神経を倍々に、刺激するのは不可能だからです。定量的ではないんですね。徹底的に嫌な事を避けられるけれど、避けないようにする、取り組むという事も重要のようです。その目先の嫌な事は、実は「正しく」関係を持つと、何か見えてくるかもしれませんし、生きがいとつながっているかも知れません。もちろん嫌な事をしろという意味では無いです。色々あっても、相手や自分の心が温まる事をわざわざやってもいいのではないかという事です。(言語は、数学に比べると論理性は劣るそうです、ですので、正確に伝えられていないと思いますが、誰かが読んで、辛くなるようなことを言いたいのではないです。辛いことがいいなんて思っていません。)

ポルフィリンのせいで、それさえ避ければ解決するだなんて、学者も思ってはいないと思います。色々な物差しになって面白いかもと思っていると思います。ウイルス、菌、のお陰様はわからないけれど、イヤな事はわかるといいます。お蔭様があっても、それはセンス出来ないのですね。人間の持っているDNAの大半はウィルスが持ち込んだものだという説もあります。一見、イヤな事に思える事の中に、そうでは無い種があるかも知れません。大きな視野でみると、物凄く良い事だという神秘的な事は、日常の中に普遍的に存在し続けているのだと思います。あなたの肌の上のポルフィリンや、血液の中のポルフィリンのように。