研究室の配属先 入学 就職 部署

若いときはこのぐらいが当たり前だとは思うのですが。「私は○○をしたい」というのが明確で、それをやっている研究室が無くて、あるいは行けなくて、モチベーションを下げてしまうという事はあると思います。私もそれと同じような事で、若いころに何度も失敗しています。

本当にやりたい事というのは、実態は違うという事も普通ですし、今そう思っていない事でも、やってみると、そっちの方が面白かったという事も普通です。

行きたいところでは無かった、やりたい事ではなかった、というのはこの先もあるかも知れません。しかし、どの業界でも、最初そう思っていた巨匠がおり、最後には天職だったと言う場合があります。

パスカルより古くからも言っている人はいると思いますが、「人間は何にでも向いている、向いていないのは一人部屋でじっとしている事だけだ」と言っています。ヴィクトールフランクルも、最後まで奪われない態度価値があると言っていますし、ヴィダルサスーンも最初はやりたい事と違うと思っていましたが、戦地で、「自分には美容しかない、やりたいやり方でやろう」と悟ったと述べています。養老孟司さんは「私は対象ではなくて、方法を選んだ」と具体的に書いていました。得たい対象を選んだ場合は、得たとしても得られなかったとしても面白くなくなってしまう事も良くあると思います。自分のやりたい方法を選んだ場合は、だんだんと面白くなっていく可能性が高いと思います。

やりたい事ではない事に対して、すぐにそう思う事は出来ないかもしれませんが、年寄りの言っている事を知っておけば、少しは助けになる事があるかも知れないと思います。

「行きたいところでは無かった」それは普通にある事です。また、自分の選択できる範囲でしか選択できないのも現実です。その範囲に集中して、出来るだけ自分のやりたい方法で進めていくと、「なんか悪くないかも」となってきますし、気が付いたら、「え?そういう風に思ってくれていたの???」と周りからも評価されていたりします。また、本当に行きたいところに繋がっているものです。

日本放射化学会和文誌 PDF 放射化学第42号
http://www.radiochem.org/pdf/rad_nw42.pdf
山田康洋先生を偲ぶ(久保 謙哉)…………………………15
日本放射化学会

私の若いころと、先生は大違いでした。久保謙哉先生の文を見つけて、初めて知りましたが、若い時から、周りに粋な事をされる方でした。誰かのかっこいい話は聞いておりましたが、自分のかっこいい話はしてくれていませんでした。