「ボルツマン死ぬな」

物理学者が私の量子化学のノートをパラパラ見ていて「ボルツマン死ぬな」という書き込みに反応した.「これは何ですか?」と言われて「死ぬなと思ってしまったのです.うちに来いよと思うのです.」と応答した.すると,共感してくれた様に感じた.
定義しているエントロピーは実測できる値とある数学的意味とが等しくなる.これが突拍子無く受け取れられ,当時の権威には酷評だった.後に脚光を浴びる式なのだが,認められる前にボルツマンは自殺してしまった.この逸話には「何でだ」と思わせられる.このような逸話は色々ありますが,ボルツマンの場合は区別して想起させられるものがあります.利益とか既得権益への戦いとかとは無縁に,美しいものを出してくれだだけなのにと思ってしまう.美しいものを表して,どうしてあそこまで怒られるのかも,今はなんとなく分かる.マッハは攻撃しなければならない‘何か‘があったのだろう.時代が来ると,ある抑圧が取れる事がある.問題提起が受け入れられ,厳密な議論に付き合ってくれる事もある.そこまで怒らなくて良いことに怒る場合がある.それには理由があるのだと思う.しかし,ときには美しいものを表してくれる世界に愛される存在を死に追いやる事があるので,その事とそういう存在に気がつきたいと思う.